伍拾参 2
次の日登校すると、教室でユルの妃のことが取り沙汰されていた。
昨日の今日なのにと思うが、伯母が妃候補の耳に入れたのかもしれない。
この王立高校では、皇室のことを家族にさえ漏らすのは禁止されている。
民間人の生徒も多いので、試験の前に誓約書を提出しなければならないそうだ。
だから学校で話題になっていても、俺とユルの結婚話は外には漏れない。
「シンは許婚と結婚だってね」
流石というかファンも知っていた。
「ああ」
「シン・チェギョンなら知ってるよ。 あのシン病院の娘だろ」
「そうらしいな」
シン病院は昔からソウルにある大きな病院で、代々医者の家系だ。
シン・チェギョンも例外ではなく、医学部を目指しているらしい。
が、俺とのことで、それは諦めてもらうことになるだろう。
「あの子ならシンのことも色々気付いてくれて助けてくれるよ」
ファンはそう言った。
俺が弱いので、そちらを気遣ってくれるという意味だろう。
昼休み、シン・チェギョン本人を見てみろとファンに言われて、双眼鏡を手に2人で屋上に上がった。
天気が良い日は、彼女は中庭に居るらしい。
「よく知ってるな」
「シン・チェギョンの友人がイ・ガンヒョンなんだ」
「あ、そうなのか」
イ・ガンヒョンというのは最長老の孫娘だ。
その最長老は祖母の兄なので、俺やユルとは再従兄弟に当たる。
俺もユルも、学校でガンヒョンと話す機会はそれほど無い。
周りには王族が多いので、ひけらかしてると思われるだけだと、彼女が嫌がるのだ。
で、そのガンヒョンとファンは親同士が友人なので、小さい頃からお互いによく知っている。
所謂幼馴染というやつだ。
「ほら、あそこに居る」
ファンの言葉で双眼鏡を構えると、眼に飛び込んで来たのは満面の笑顔だった。
何が面白いのか、隣に居るガンヒョンも笑っている。
うん、やはり可愛いな。
だが、こんな病弱な俺の妃なんて嫌ではないだろうか?
シン・チェギョンの笑顔を見ながらそう思っていた時、ガンヒョンがこちらに気付いたようで、双眼鏡越しに睨み付けられてしまった。
俺が病弱だということは聞いているはずだが、どうやらガンヒョンにはそんなことは関係なく、宮で会うと、武術の稽古はしてるのかとか馬にも乗れるんだろうなとか、ファンでさえ聞かないことを平気で口にする。
『ユルに気後れしてちゃダメよ』
まるで見透かしているようにそう言われた時は、人の心が読めるのかと思ったものだ。
『弱いと思うと余計に弱くなるわ。 とにかく身体を鍛えること。 いいわね!』
『・・・判った』
侍医に心臓が悪いと言われているので<身体を鍛える>などしたことがないのだが、あの時はそう返事しないとガンヒョンは引き下がらなかったのだ。
その日、下校してから訓育を受けている時に、祖母から電話が来た。
シン家から返事をもらって来たらしい。
『謹んでお受けいたします』
そう言ってくれたと、電話口で祖母が嬉しそうだった。
『来週の日曜日、チェギョン嬢とご両親が参内する。 そなたも来るのだぞ』
「はい、おばあさま」
受けたのか。
いや、それは構わないが、もしかしたら皇太子妃ではなく大君妃になるかもしれないことを伝えておく方がいいだろうか?
俺はその夜、そんなことを考えていた。
学校で話が出来ないものかとシン・チェギョンを探すのだが、いつ見ても彼女は1人ではなく、なので遠くから姿を見るだけで話など無理だった。
「なんなら僕が呼んで来ようか?」
ファンがそう言ってくれたが、まあいいと返事した。
大君妃になるかもと知ったところで、今更断ることも出来ないだろうから。
「ユルのお妃はミン・ヒョリンさんだってね」
「ああ」
ユルがわざわざ言いに来たのだ。
『僕が好きな女性ってミン・ヒョリンさんだってさ』と。
ミン・ヒョリンさんは王族会長老の1人であるミン王族の孫娘で、既に伯母が決めていたらしい。
ヒョリンさんは俺たちよりひとつ上で、おまけにユルが言うには「大君だから挨拶はなかった」らしく、宮の行事でも会わなくて本人を知らなかったそうだ。
『写真を見たよ。 美人だけどちょっと冷たそうな感じだったな』
ユルはそう言っていた。
冷たそうか・・・。
実はそのヒョリンさんは俺の初恋の相手なのだ。
ユルの言葉通り美人で、だが学年が違うし校内では碌に顔を見ることもなくて宮の行事で挨拶するくらいで、俺が一方的に想っていただけだが。
彼女がユルと結婚すれば、毎日会うことになるだろう。
「婚礼はシンとユル2人同時にって聞いたけどほんと?」
少しぼうっとしていたらしく、俺はファンの言葉で我に返った。
「ああ。 年明けの1月中旬だ」
「経費削減ってことかな?」
「多分な」
ヒョリンさんは王族なので訓育は行われず、チェギョンだけが早めに入宮して雲硯宮でお妃教育だそうだ。
民間人だから、というのが理由だ。
そして日曜日、シン家の3人が宮に来た。
公務の合間に姿を見せた父と母、そして祖母の前で、彼ら3人は丁寧に挨拶していた。
「よくお越し下さった」
「初めまして、皇太后さま、皇帝陛下、皇后陛下。 シン・ナムギルと申します」
妻のスンレですとか娘のチェギョンですとか自己紹介をして、大人たちは婚礼の調整に入った。
当の本人たちの前で。
チェギョンは制服ではなく当然私服だ。
派手でもなく地味でもなく、宮に合わせたのだろうという服装で、学校で見るよりも一層可愛かった。
ちらちらチェギョンを窺っている俺に気付いたのか日程の調整を聞かせずともと思うのか、祖母が俺に言った。
「太子、チェギョン嬢を東宮殿に案内してはどうかの?」
「はい、おばあさま」
チェギョンもすぐに立ち上がり、俺たちは東宮殿に向かった。
チェギョンが付いて来るのを確認しながら足を進めて、東宮殿の皇太子妃の部屋に入った。
「婚礼後、此処が君の部屋になる」
チェギョンはキョロキョロした後、真っ直ぐ俺を見た。
「殿下、お話があります」
同級生だからタメ口でいいとのにと思いながら向き合うと、彼女は思いもしないことを言った。
「あなた少し、漢方というか、薬草の匂いがします」
「え??」