肆拾伍 9
握手の後、ヒョリンって良い子だと思った。
やっぱり先帝陛下が決めた許婚ね、と思ったのである。
ところが。
「チェギョン、ちょっと」
「うん」
お弁当を食べてからヒョリンに呼ばれて付いて行くと、彼女は外階段に向かった。
そしてそこで、思いもしないことを言われたのである。
「皆の前では笑顔で握手したけど、正直夫のスキャンダルの相手となんて仲良くなれないわ。 それは判るでしょ?」
え・・・。
「うん・・・」
戸惑いながらもそう返事すると、ヒョリンは突然眼を吊り上げた。
「ちょっと! 私は皇太子妃なのよ? タメ口は生徒が居る時だけよ。 今は私たちだけだから敬語を使いなさい!」
「・・・」
一瞬言葉が出なかったが、何とか、「はい、妃宮さま」と言うと、ヒョリンは満足したのか笑顔になった。
「とにかく、校内では仲が良いふりをしましょう。 皇室のためシンのためにね。 いいわね」
「はい、妃宮さま」
「判ってくれたのならいいわ。 さ、教室に戻りましょう、チェギョン」
にっこり微笑んだヒョリンの後を付いて外階段を下りながら、私は内心呆れてしまった。
こんなに裏表があるなんて思わなかったのだ。
放課後になり、ユル君もヒョリンも教室を出て行ったことで、私はやっと思い切り息を吐いた。
「はーーーーーーーーーーーーーーー・・・」
あのヒョリンと同じクラスだなんて、残り数ヶ月が思いやられる。
「どしたの、チェギョン」
机に突っ伏している私に、ガンヒョンがそう聞いて来た。
「聞いてよガンヒョン!!」
教室で捲し立てたいくらいだったが、一応立場というものがあるので、私はガンヒョンの家に押し掛けた。
「あら、いらっしゃい、チェギョンちゃん」
「お邪魔します〜」
ガンヒョンのお母さんキム・ヘヨンさんは、キム王族さんの次女で私の母スンレより2歳上だが、同じ王族なこともあって学生時代は仲が良かったらしい。
ただ、ヘヨンさんが一般人であるガンヒョンのお父さん、イ・ソクヒョンさんに嫁いだことで、一旦接点がなくなってしまったのだ。
が、母が王族の父のところに嫁ぎ、私とガンヒョンが仲良くなったことでヘヨンさんに再会して”ママ友”になれたとかで、今再び友人関係を築いている。
「ガンヒョンったら、チェギョンちゃんを連れて来る前に掃除くらいしておかないと」
「いいのよ、チェギョンなんだから」
ヘヨンおばさんは、ガンヒョンにはお小言を言ったが私には夕食を食べて行きなさいと言ってくれた。
「スンレには私から連絡しておくわ」
「はい、ありがとうございます」
ママはチェギョンに甘いのよねーと笑いながらも、ガンヒョンは私を引っ張って階段を上がった。
「で? 何を言いたいの?」
ガンヒョンの部屋で、2人でベッドに腰掛けてから、私はやっと口を開いた。
「実はね!!」
「えええ!? ヒョリンってそんななの???」
「うん! 信じられない!!」
思い出すだけで腹が立つ。
そして、相手は妃殿下なので逆らえない自分にも腹が立つのだ。
人って見かけによらないものなのね〜〜〜〜〜、とガンヒョンは言ったが、本当だ。
「ご馳走さまでした」
「気を付けてね、チェギョン。 また来てね」
「はい、おばさん」
「今日はありがと、ガンヒョン」
「いいのよ、愚痴ならいつでも聞くからね」
玄関でおばさんに挨拶して、門のところまで見送ってくれたガンヒョンに手を振って、私はバス停に向かった。
ガンヒョンは何でも話せる私の親友だ。
口が固くてヘヨンおばさんにも言わないので、安心して愚痴を聞いてもらえてこういう時はほんとに有り難い。
ガンヒョンのお兄さんガンソクさんは、大学卒業後、司法試験の勉強をしながら探偵業をしている。
が、ガンヒョンによると探偵ではなく「何でも屋」のようで、居なくなったペットの犬を探すとか浮気調査とか、そういう依頼ばかりだそうだ。
先月は猫を探し回って川で追いかけっこになってしまい、掴まえたのはいいがびしょ濡れになって帰って来たらしい。
ガンヒョンのお父さんは検事さんなので、ガンソクさんも検事になりたいそうだ。
「何でも屋」はその布石だろうと、私は思っている。
絶対違うとガンヒョンは笑うが。
家の近くのバス停で降りると、兄チェジュンが立っていた。
「遅い」
「何が遅いのよっ」
「もう8時だぞ。 だから迎えに来たんだ」
「・・・私がこのバスに乗ったのを知ってたのね」
「ああ、見た」
”見た”。
「また侵入したの? そのうち捕まるわよ」
「そんなヘマはしない」
「・・・」
兄はネットに強く、ハッキングはお手の物だ。
だからといってソウルの街の防犯カメラに侵入??
信じられない。
3ヶ月前除隊して大学に復学している兄曰く、入隊していた2年間ネット情報に飢えていたので、今それを掻き集めているのだとか。
「大丈夫だ。 俺が知った情報は誰にも漏らしてないから」
当然でしょ。
この時、兄の手首に真新しい時計があることに気付いた。
「その腕時計どうしたの? 物が良さそう」
「これ! ブランド物の限定品なんだ! なのに安い値段で売りに出ててさあ」
ネットで売りに出されていたソレを見つけて、破格の安さだったことですぐに購入したらしい。
「そんなに安いなんて、もしかしたら盗品とか」
「出したのは普通の高校生だったから、ソレは無い」
既に売り手のことを調べたらしい兄は、ひらひら手を振ってそう言った。
「高校生なの?」
「それ以上は個人情報だ」
「はいはい」
兄がご満悦だし、ちょうど家に着いたこともあってそれで話は終わった。
この時は、その”普通の高校生”が、皇太子妃ヒョリンに関わっていたなんて思いもしなかった。
このお話で「ヒョリンが皇位継承者の許婚になった理由」ですが、ドラマ通りです。
先帝とヒョリンのおじいさんが親友、というもので、2人の接点などは(ドラマ通り)特に考えていません。
「先帝は何故あんな親子を?」と思われる方も多いみたいですが、
十数年前に決めたことなので、親友の息子の人となりも判らないでしょうし、
幼児のヒョリンも可愛かったんじゃないかと。
あ、おじいさんは悪い人じゃなかったと思いますよ〜。