弐拾陸 17
チェギョンがシンを引っ張って準備室を出てから、ミンジュはユルの様子を窺っていた。
ユルが王族でシンの再従兄弟だということは同じ王族のミンジュは知っていたので、今のシンの言葉をどう聞いたのだろうかと思ったのである。
それはユルも同様で、なのでユルはミンジュにはっきり聞いた。
「シンの気持ちはチェギョンにあるのか? 妃に決めたっていうのは本気かい?」
「・・・」
ミンジュはまだ考えている。
シンのこともだがチェギョンのこともだ。
ユルが王立中学校の美術教師だった頃の、チェギョンがアメリカに行った後のミンジュが中2の時、先輩たちが話していたのを聞いたことがあるのだ。
『イ・ユル先生って素敵よねー。 すっごく優しくて笑顔が柔らかくて』
そう言う生徒は多く、女子はかなりの人数がユルに憧れていたのである。
先程のチェギョンの態度から、もしかしてチェギョンもそうだったんじゃないだろうかと思い悩み始めたミンジュなのだ。
何やら考え込んで返事をしないミンジュに、ユルは言った。
「ミンジュ。 僕がシンの再従兄弟だということは知ってるだろ? 僕はシンの味方だよ。 シンが望むお妃を迎えることが出来たら皇室の未来は明るいし、それはこの国にとってもすごくいいことなんだ。 判るだろ?」
「はい・・・」
「知ってたら僕にも教えてくれ。 シンはチェギョンが好きなの?」
「はい」
ミンジュははっきり答えた。
ユルへの牽制もあるのだ。
「じゃあ中1から?」
「そうみたいです」
「へえええ、可愛いじゃないか〜。 なら尚更応援しないとね、ミンジュ」
この言葉は、ユルのミンジュに対する牽制である。
ミンジュがそれに気付くことはなかったが、純粋にシンを応援しているミンジュは、元気よくはいっと答え、ユルはその答に満足した。
「いい返事だ。 じゃあ僕たちは先に食べてしまおう。 シンとチェギョンが二人になれるようにね」
「はいっ」
ユルとミンジュはそれぞれ自分の昼食に取り掛かった。
チェギョンの小さい手がシンの手を握っている。
そのことにシンの気分は高揚し、どきどきしていた。
こんな些細なスキンシップにも胸を震わせている自分に気付き、チェギョンを好きなことを再認識しているシンだった。
好きだ、チェギョン。
大好きだ。
そんなシンを引っ張って美術室に入ったチェギョンは、いきなりシンに言った。
「イ先生の前で言わないで! 4年以上も前のことでしょ? あれは事故なのっ」
その言葉に、シンはじっとチェギョンを見た。
事故?
お前あのキスをそんな言葉で片付けるのか?
もしかしてヒョンのことを好きなのか?
だがシンはチェギョンを諦める気など無かった。
来月18になるシンには結婚の文字がちらついている。
高校を卒業する頃には妃が決められるであろうシンには時間が無いのだ。
「とにかくあのことはもう口にしないで!」
「イ・ユルに、中3で中1の男の唇を奪ったとは知られたくないのか?」
「な・・・! ///// だ、だから! そういうことを言わないで! あれはただの事故なんだからもう忘れてよ! ///// 」
顔を赤くしたチェギョンがますます可愛く見えて、シンはこんな時なのに頬が緩むのを止められない。
そのせいで揶揄われていると思ったチェギョンは、最後の言葉とばかりにシンに言った。
「絶対誰にも言わないでよ! 約束だからね!」
言い捨てて戻ろうとしたチェギョンは、シンに手を掴まれ再びシンと向き合った。
「約束は出来ない。 皇族は嘘を吐いてはいけないんだ。 だから俺は聞かれたら答える」
「ちょっと!」
チェギョンはシンの手を振り解こうとするが、細く見えてもシンは力があるのでチェギョンが手を振ったくらいではシンはびくともしない。
シンはチェギョンの手を握ったままチェギョンを見つめている。
「それに、忘れられるはずがない。 俺の今までの人生で一度きりのキスなのに」
「え・・・。 あ、ああ。ファーストキスってこと・・・?」
「いや? 俺のキスは後にも先にもあの時一度きりだ」
「・・・」
チェギョンにすれば驚きだ。
ハンサムなシンが今まで何も無かったなんて。
「その唇が忘れられなくて可愛いお前を忘れられなくて、他の女に触れたいと思ったことも無かった。 お前だけを想ってずっと探してたんだ」
「・・・シン君」
チェギョンにとって弟のようなシンだが、こんな風に言われて嫌なわけはない。
が、やはりシンは2つも年下の弟なのだ。
「あー・・・、ごめんね、シン君。 私のせいよね。 ほんとごめんなさい、このとおり謝るわ」
チェギョンは言葉通り、シンに頭を下げた。
が、でもね、と続けようとしたチェギョンの言葉はシンによって遮られてしまった。
「俺が嫌いか?」
そう聞かれればチェギョンの答はNOだ。
「ううん! 嫌いじゃないわ! いい子だしハンサムだし!」
「だったら何の問題も無い」
「?」
チェギョンには何のことか判らない。
「何に問題が無いの?」
「俺たちの結婚」
「! だから!」
「皇太子の唇を奪ったんだぞ?」
「う・・・・・っ」
それを言われるとチェギョンは何も言えなくなる。
事故だと言い張ろうとも悪いのは自分だからだ。
シンはシンで、このまま強気で押し進めようとチェギョンに詰め寄った。
「何も知らない純真無垢の皇太子の、それも寝てる皇太子の唇を奪っておいて事故? そんなことが通用するとでも?」
「・・・・・」
皇太子皇太子と連呼されて真っ青になったチェギョンだが、それでも口を開いた。
「で、でもさあ。 別にそのことをそこまで大仰に考えなくてもいいんじゃないの? 義務のように思わなくてもいいのよ? それにシン君だって他に好きな子が居るんじゃないの?」
「あれ以来お前を忘れられないと言っただろう? 俺が好きなのはお前だとまだ気付かないのか?」
「・・・」
あ、やっぱり?とチェギョンは肩を竦めたが、それでもチェギョンにとってシンは恋愛対象外なのだ。
「好きだ、チェギョン。 だから俺と結婚してくれ」
シンにとってはチェギョンとの結婚は既に決定事項なのだ。
プロポーズはそのためのステップである。
そしてチェギョンにとっては20年の人生の中で初のプロポーズだ。
ハンサムでカッコイイシンが自分だけを見つめて告白し、プロポーズしてくれた。
それはそれで嬉しいし、どきどきもするのだが・・・。
だが今は困惑しか無い。
キス一つで好きになるなんてアリだろうかとか、何故キス一つで自分の人生を決めてしまえるのだろうかとか、皇族は特別なんだろうかとか、色々色々考え込んだチェギョンの顔にシンの顔が近付いて来た。
プロポーズを断られなかったことが、シンにとってはYESなのである。
ということは、あれ以来のチェギョンの唇に触れてもいいということなのだ。
直前でシンの唇を避けたチェギョンは、いいことを思い付いてシンに言った。
「あのねシン君。 シン君は皇太子なの。 私はただの庶民よ?」
「関係無い」
「あるでしょ! 私じゃ無理なの!」
皇太子妃が庶民なんて有り得ないのだと言おうとしたのに、<関係無い>のひとことで片付けられてしまい、チェギョンの声はつい大きくなった。
「大丈夫だ。 俺が守るし助けるから」
「え・・・ /// 」
男らしいその言葉にチェギョンがクラっとした時、再びシンの唇が近付いて来た。
そしてまたチェギョンはそれを避けた。
「だからだめだってば、シン君!」
うっかり押し切られそうになったチェギョンは、やっとシンを押し退けて美術室を出た。
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