弐拾弐 4
高3の9月、俺は突然結婚しろと言われた。
なんと相手が居るようで、先帝であるおじいさまが決めた許婚なのだとか。
おまけに元は従兄弟ユルの許婚だったらしく、そのせいか無理強いはしないと言ってくれた。
だが結婚はしろというのである。
無理強いしてるじゃないか!
そう思ったが口には出さず、俺はその時ヒョリンへのプロポーズを心に決めていた。
顔も見たこと無い女なんて冗談じゃない。
秘密にしているとはいえ、俺はヒョリンと付き合っているのだ。
ヒョリンが好きだし、妻にするならヒョリンだろう。
が。
昼休み、顔には出さなかったが決死の覚悟で、俺と結婚するか?と聞いてみたというのに、ヒョリンはあっさり断った。
皇太子妃になったらプリマになれないというのだ。
あなたとの友情を壊したくないとも言われた。
友情?
俺とヒョリンはただの友人だったというのか?
は。
何だ、そうだったのか。
まあ確かに、好きだと言われたこともないし、言ったこともない。
会うといっても学校か乗馬クラブだ。
俺は寄り道も出来ないから外で会ったこともない。
それでも。
ヒョリンは俺の彼女だと思っていた。
俺の傍に居る唯一の、そして特別な女の子だと思っていたのだ。
俺は、独り善がりだったことに少し落胆しながら、判ったというひとことを残してその教室を出た。
シン?とヒョリンの声がしたが、俺は振り返らなかった。
宮に戻ると上殿に呼ばれ、許婚の写真を見せられた。
見た目はマシなほうかもな。
俺の感想はこれだけだった。
だが、俺はこの話を承諾した。
ヒョリンには振られたのだし、おじいさまが決めたのならこの女でいい、そう思ったのだ。
ところが!
その女シン・チェギョンは俺との話を断ったらしいのだ!
断った?
ただの民間人が皇太子のこの俺とのことを?
俺が承諾したというのに?
おまけに、家に借金があるようで、母上に金を貸して欲しいと言ったらしい。
あ、別に立ち聞きしていたわけじゃない。
借用書がどうとか話している女官の言葉が聞こえて来ただけだ。
金のことは、高校生が皇后に頼むくらいなのだから相当困っているのだろうとは思ったのだが、それよりも断られたことにすごく腹が立って、俺はその女を待ち伏せた。
ひとこと言わねば気がすまなかったのだ。
写真より可愛い。
俺がそう思ったことになど気付くことなく、その女シン・チェギョンは言った。
「何も知らない民間人故、お断り致しました。 ではお元気で」
素っ気ないその言葉とともに俺から離れようとしたことにも何故か苛立って、俺はとうとう借金のことまで口にした。
<初対面で借金を申し込むのは世界中探してもお前だけだろう>
その言葉が口から出た途端後悔したのだが、シン・チェギョンははっきり俺に言った。
「下々の者の借金のことで皇太后さまを煩わせてしまいましたことは申し訳なく思っています。 世界中探しても私一人だろうことも判っています。 でも今ウチは切羽詰まってるんです。 どれだけ恥をかこうともどれだけ馬鹿にされようとも気にしません」
この言葉は堪えた。
それを口にしながらもシン・チェギョンの眼が赤くなってきて、俺はますます後悔し、踵を返して俺に向けたその小さい背中を見送ることしか出来なかった。
シン・チェギョンに言い放った俺の言葉に、自分でも自分に腹が立って申し訳なくて、その夜はなかなか寝付けず、眼を瞑れば彼女の赤い眼をまざまざと思い出してしまい、何とか謝らなければと思った。
次の朝の挨拶の場で、おばあさまが昨日のシン・チェギョンを褒めていた。
「なかなかしっかりした娘だった。 立ち居振る舞いがとても綺麗で、お茶をいただく仕草も完璧で。 普通の家庭で育ったというのに、生まれ持ったものか、ご両親の躾が厳しかったのかもしれぬ。 皇后もそう思ったであろう?」
「はい、皇太后さま。 行儀作法が身に付いていました。 それに家族思いでとてもいい子でした」
母上が珍しく褒めたことで、おばあさまも上機嫌だ。
そのことで父上までもが、シン・チェギョンに会いたかったと口にした。
「おや、母上のみならず皇后までがその娘を褒めるのですか? なら私も会ってみたかったですね」
「太子は会ったようじゃぞ。 のう、太子」
見られていたのか!?と思いながらも、俺は平然と返事をした。
「はい、彼女が帰る時に偶然会いました。 お元気でと言ってくれていました」
「ふむ、縁は切れたと思ったであろうな」
その通りだろう。
俺はおばあさまの言葉に心の中で返事をした。
登校すると、インたちが校舎の入り口で俺を出迎えてくれている。
その時いつもだが、インが、あそこにヒョリンが居ると俺に言うのだ。
その言葉にインが見ているほうに視線を向けると、ヒョリンが渡り廊下の左側の窓に立っているというわけだ。
今朝もそうだった。
だが俺は昨日のプロポーズのことがあるので、正直ヒョリンが煩わしかった。
にこっと微笑んで軽く手を振るヒョリンに、俺は少しだけ口角を上げた。
微笑んだつもりはない。
<口角を上げた>だけなのだ。
俺を振ったくせによくそんな風に笑えるもんだ。
ヒョリンが言ったように、俺たちはただの友人だったのだ。
その気になってたのは俺だけだったということだ。
俺の眼が冷たいことに、ヒョリンは気付いただろうか。
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